今日はなに読む?

子どもと読んだ絵本のこと。たまに私の趣味で読んだ本。

『きみなんかだいきらいさ』くるくる変わる子供の心。

きみなんかだいきらいさ

ジャニス・メイ・ユードリー /作
モーリス・センダック /絵
小玉 知子 /訳
冨山房 600円+税



息子が2歳か3歳の頃、お友達と遊ぶと、まぁよく揉めた。


泣かし泣かされ、どちらもあった。
親はあたふたし、「すみません」「いえこちらこそ」ととりあえず謝りあう。


そうしていると、いつの間にか当の本人達は仲良く遊んでいる。


さっきの揉め事などなかったように。


一体なんなんだ。


後腐れが全くなさすぎて感心する。


よくわからないけれど、仲直りしたようだし、
まぁいいか、ということが日常だった。


子供ってほんと不思議だ。



この絵本はまさにそんなやりとりのお話。



ぼく、ことジョンはジェームズに対してとても怒っている。


クレヨンは一本も貸してくれないし、
おまけに砂まで投げてくるのだそうだ。


とても仲良しで、水ぼうそうまで仲良く一緒にかかったジェームズだけれど、
ジョンはもう我慢ならない。


だいきらいさ


家に行って、ジェームスにそう言う。


ぜっこうだ


言われたジェームスも黙っていない。
なかなか激しめの言葉が飛び交う。


さいならあ!
さいならあ!



ぷいと背中を向け合う二人だが、
その後どうなるかは...もうお分かりだろう。



小さな男の子たちの、身近で、リアルなやりとりだ。
ジョンとジェームズのやりとりを、私は息子を通して何度も見た。


「だいきらい」なんていうドッキリする言葉も、
子供の口から出ると何か微笑ましく感じてしまう。


今も昔も、全く変わっていない。
時代や環境がどんなに変わっても、子供たちは変わらないんだな。


もしかして私も子供の頃は、こんなやりとりをしていたのかもしれない。
残念ながら綺麗さっぱり、忘れてしまったが。


もう一つ、男の子は時代も国の垣根も超えて、やっぱり砂を投げつけるものいうこと。
そして、私を含めあらゆる時代、人種の男の子の母たちが「砂を投げない!」と叱り付けていたのだと思うと、人類の一体感を感じた 笑。



私に、男の子は砂を投げるものだと教えてくれた
作者のジャニス・メイ・ユードリー。


絵本はいつも思いがけないところで子育ての強張った気持ちを時ほどいてくれる。ほんと感謝。
我が子が特別に困った癖を持つというわけではないのだ。


作者は、調べてみると「木はいいなぁ」の著者であった。
この絵本も大好きな絵本で、息子と何度も読んだ。



絵はモーリス・センダック


ケンカするジャックとジェームズの表情の豊かさに頬が緩む。
そうそう、こんな風に自分の中の憎たらしさをいっぱいにかき集めて顔に集中させる。
そしてその顔を精一杯、相手に放つ。
顔でも、ケンカしているのだ。



このお二人が作った絵本がもう一冊あるそうだ。
また探してみようと思う。



『ふたりは ともだち アーノルド・ローベル』


ふたりはともだち
アーノルド・ローベル 作
三木 卓 訳
文化出版局 950円+税



1970年出版の超ロングセラーのこの絵本。
コールデコット賞という、世界三大絵本賞の一つを受賞している。



なんか見たことある、と思ったら、教科書にこの本の「おてがみ」というお話が載っているそうだ。



このシリーズにはとてもお世話になっている。
私も息子も大好きで、結局全部集めてしまった。

ふたりはともだち (ミセスこどもの本)

ふたりはいっしょ (ミセスこどもの本)

ふたりはいつも (ミセスこどもの本)

ふたりはきょうも (ミセスこどもの本)

の順番で4冊が出版されている。





そしてCDブックふたりはともだち CD付き英語絵本 [ アーノルド・ローベル ]を発見し、車内で朗読を聴いている。
英語と日本語を交互に読んでくれる。
英語はなくても良かったのだが、特に気にもならない。


息子は、気に入って聴いている。
むしろ気に入りすぎている。
私はといえば、少し飽きた。
それだけ聞いているのに、ちっとも英語は頭に残らない不思議 笑



その中で、ずっと気になっていたお話がひとつある。



“すいえい“というお話。


がまくんは自分の水着姿はおかしいから、他人に見られたくないという。
かえるくんは、がまくんの水着姿が誰にも見えないよう、協力してくれる。


しかし…


結局は最後、かえるくんもみんなと一緒になって、がまくんの水着姿を笑うのだった。


なんでなん、かえるくん 泣


初めてこの話を聞いた時、私は がまくんを思い、悲しくなった。
がまくんは、自分の水着姿はおかしいと、あんなにも気にしていたのに。


とはいえ、かえるくんは水着を着ないと言っていた。
それなのにおかしな格好と自覚しながら、わざわざ水着を着るがまくんもどうかと思うのだが…。


周りの誰も、水着なんて着ていないし。
(いるのはカメとトカゲ、とんぼ)



笑われないように協力してくれたのに、結局みんなと一緒になって笑う。


友情のお話としてどうなのだろう?


結末が謎すぎてググって調べてみたりもした。
この結末は一体どういうことなのか、この話を読んだ他の人はどう感じているのか、、。


ネット上に答えはなかった。



しかし、何度も聞いているうちに、ちょっとわかった(気がする)。



ふたりは真にともだちなのだった。


かえるくんは、がまくんが笑われないように、たくさん協力してくれた。


でも水から上がった がまくんが、面白い格好をしていればやっぱり笑ってしまうのだ。


友達を笑う。
しかも気にしていることを。
それは確かにひどい。


もしかしてその後もちょっと喧嘩していたかもしれない。


しかし、ずっと一緒にいれば、絶対に危うい出来事もある。


いいことばかりではないけれど、それでも二人は、いつもお互いを思いやっている。


そして、いつも一緒にいる。



私の初めの感想は、私の人への接し方の、今までの経験からくるものだ。

友達を笑ったりするなんてイヤな奴。
相手との関係が壊れてしまうかもしれない。
嫌われたくない。


大人になって、人とうまくやっていく事ばかり気をつけていたと気づく。



さて、ついに恐れていた皆んなに笑われるという事態。
かえるくんは

「だって みずぎすがたのきみは ほんとに おかしなかっこうなんだもの」


などと言って笑っている。
やっぱり、けっこうひどい 笑


この部分、英語訳での朗読は、本当におかしいという感じで笑いながら読んでいる。
しかし日本語訳には笑いはなく、冷静に事実を突きつけているような印象。
聞き取りやすさを考えて、笑わずに読むようにしたのかもしれない。




最後に、

「そうにきまってるじゃないか」
それから がまくんは じぶんのきものをもって いえにかえってしまいました。


そう言って水からあがり、帰るがまくんの姿に、悲しいとか怒っている様子はない。
むしろ、どこか堂々としているようにも見える。
その姿になぜか安心した。


それを笑顔で見送る、かえるくん。
この笑顔は、決してがまくんの水着姿がおかしくての笑顔ではない、はず。



きっと明日も、ふたりは一緒にいるのだろう。








↓通常版です。CDはついていません。

さてさて、きょうのおはなしは……


さてさて、きょうのおはなしは……
瀬田貞二 再話/訳
野美山響子 画
福音館書店 1100円+税





寝る前に絵本ではなく、お話だけ聞かせてあげたいと思い本を探していた時、見つけたのがこの本。
しかも瀬田貞二さん。間違いはない。即購入。




日本のむかしばなし18話と、世界のむかしばなしが10話収録されている。




むかしばなしなので、どのお話も5ページほどで終わり、読み聞かせにも抜群に適している。




「おだんごぱん」「3びきのやぎのがらがらどん」など、定番のお話も含まれていてお得感もある。






息子は「三びきのくま」「とりのみじいさん」がお気に入り。




「三びきのくま」を読むと、女の子に「きんきらこ」という名前がつけられていて、その名前が絶妙にツボにハマったらしく大ウケしている。
くま達がいろいろ怒っている所も面白くて仕方ないらしい。



おかしい…眠る前に静かにお話を聞かせ、そのまま穏やかに眠りにつくはずだったのに。
なぜか布団の中には、ゲラゲラ笑って目がパッチリ開いている息子がいた。
でもまぁ気に入ってくれたようで良かったのだが。






「とりのみじいさん」は、私もこの本で初めて知った。
働きものの爺さんは幸せになり、強欲な爺さんはろくな目に合わない、あのテンプレートな話だ。



日本のむかしばなしは、このバリエーション違いが多い。



鳥になった爺さんが不思議な歌を歌うのだけれど、
その歌が面白いらしい。
下に引用する。


あやちゅうちゅ こやちゅうちゅ
にしきさらさら ごようのまつ
こがねざらざら びびらびんちょん



働き者の爺さんの栄光を歌っているのだろうが、
息子はなんやこれーと言ってここでも大爆笑である。



なるほど、本の帯にあった通り、
“読んでも聞いても楽しい、瀬田貞二の昔話集“の言葉に偽りなし。




でも、ちっとも寝ない 笑。







他の話も読んでいて思うのは、
やはり、むかしばなしは現代人の感覚では話の内容が少しこわい。




理不尽であり、容赦なく残酷だと思う所もある。
読んでいて意味がわからないことも。
そして悪いのは一体どちらなのか、考えてしまう。




「三びきの子ぶた」を読んだ後、息子は「子ぶた、悪い奴やな」と言っていた。
「そうやな…」とぽつりぽつりと話をした。




現代的感覚ではそうなのだろう。




昔ならばきっと、
知恵を絞って敵に勝ち、生き延びた賢い子ぶた、なのだろうが。





言葉の面白さを楽しむことも、話の内容に立ち止まって思うことも、
子ども本人のもの。





就寝前の静かな読書は失敗したが、もっと大きな収穫が、あったように思う。












ちいさなうさこちゃん  ファーストブックに


ちいさなうさこちゃん
ディック・ブルーナ 文・絵 / 石井 桃子 訳
福音館書店 700円+税




息子の、はじめての絵本はこの本だった。
まだ首が据わったぐらいの時から読んでいる。


息子を膝に乗せて本を開く。


今思えば、息子には絵本が見えていたのかも怪しい。
まだぼんやりとしか、目は見えてなかったのかもしれない。


それでも、あの頃の私は早く自分の子どもと本が読みたくてしようがなかったのだった。


あのはっきりしたブルーナカラーは、きっと見えていたはずだ。
そういえば、本の方をじっと見ていたな。


きっと、うさこちゃんが息子を見ていたからだろう。
“常にこちらを向いている“ことはディック・ブルーナさんのこだわりなのだから。
見た事もない動物たちが優しくこちらを見ているのだ。



いつだったか、テレビで見たブルーナの特集番組。
あの黒い、少し震えた太い線を、ブルーナさんが細い筆で少しずつ少しずつ、とても時間をかけて描いていて驚いた事を覚えている。


シンプル=簡単にできる、という訳ではない。


そして、丹精を込めて作られた物は、やっぱり長く愛される。




その熱意は海を渡って、受け継がれていた。



この福音館書店の日本語版も、印刷でのブルーナカラーの再現に注力していたり、フォントを作成したり、たくさんのプロのこだわりの仕事が詰まっているのだそう。
うーん、すごいなぁ。
ちなみに装丁は祖父江慎さん。


うさこちゃん、という名前。
私はミッフィーちゃんという名前の方に子どもの頃から親しんでいたので、うさこちゃんという名前は、新鮮な響きがした。


“ふわふわ うさこちゃん“。
“ふわふわさん“に“ふわおくさん“。
可愛らしい。



石井桃子さんのセンス、素敵。
そう思っていたのだけれど、
原文での名前は“ナインチェプラウス“という。
オランダ語で“うさぎちゃん・ふわふわ“という意味。
ミッフィー“は英語の翻訳用の名前で、本場オランダでは“ナインチェ“と呼ばれていた。



石井桃子さんは、忠実に原文を翻訳していたのだった。


そして調べてみると、オランダ大使館に出向いて発音を聞き、音のリズムを調べたり、直訳してみたり、オランダ語の原文をとても大切にしていらっしゃった。



ここにもプロのこだわり。



改めて調べてみるとすごい絵本だった。



私には赤ちゃんだったころの息子との、
温かい思い出が詰まった一冊。



その一冊は、これから生まれてくる子どもはもちろん、すべての子どもへの祝福が込められた一冊であった。




ぴょーん


ぴょーん
松岡達英 作/絵
ポプラ社 780円+税


赤ちゃん絵本の定番。
息子が生まれた頃、NHKの朝の番組で紹介していた。


いろんな生きものが、ぴよーん。



可愛らしい動物や虫たち、そのどれも動きや特徴がよく描かれている。

それもそのはず、著者の松岡達英さんは、自然科学の絵本で有名なお方だそう。
その後図書館で借りた本にも、松岡達英さんの絵本があった。

赤ちゃん向けのぴよーんとはまた違い、
こちら海辺のずかん (福音館の科学シリーズ)はとても線密に描かれていた。
しかしどちらの絵本も、生き物への尊敬と好奇心に満ちていた。

いろんな自然の中に行って、時間を忘れて生き物を観察している松岡達英さんを勝手に想像した。




この絵本には思い出がある。


息子が赤ちゃんの頃、近くの図書館の読み聞かせによく行っていた。
そこで何回も読んでもらった。
図書館のみならず、児童館に遊びに行った時も、お集まりの時間などで読んでくれたっけ。


大きいサイズの「ぴよーん」もあり、図書館ではそちらをいつも読んでくれた。
大きくなるだけで迫力が増す。


子どもたちからの反応も良いのだろう。
「ぴよーん」は読み聞かせタイムの締めくくりの鉄板であった。


そう、ついつい体が動いてしまうのだ。
こちらも、ぴよーんとやってしまう。


赤ちゃんから幼児まで、
みんな、けらけら笑いながらぴよーんと、やる。


まだジャンプができなかった息子も
体をうーんと伸ばして、ぴよーんの真似をしていた。


背が伸びそうだ、などと始めは微笑ましく見ていたのだが、
いつからか、ぴよーんの度にたかいたかいをするように、こちらが持ち上げてやらねばならなくなった。


まだまだ赤ちゃんとはいえ、重いのだ。
ページをめくれば、毎回ぴよーんがある。
その度に、中腰からの子供の脇腹を抱えての持ち上げ。


もはや筋トレ。
なかなかに、しんどかったなぁ。


でも、息子はゲラゲラ笑っていた。


笑いすぎて足腰がふらふらになっていた。
そしてそのふらふらの、重心が定まっていないふにゃふにゃした人を持ち上げるのは、また重い。
でも持ち上げないと、怒り出すので、黙ってやる。


毎回疲れたけれど、今となれば良い思い出か。



お母さんが読んで、お父さんがぴよーんをしてあげるのも良いかもしれない。


せかいのひとびと 自分もまた、人とはちがう


せかいのひとびと
ピーター・スピアー 絵・作
松川 真弓 訳
評論社 1500円+税



いろんな国の民族衣装を着た、数えきれないほどの人々が描かれた表紙。
これからはこんな風に人が密集している光景は、避けられていくのだろうか。


本をひらくと地球があり、次のページでは、アダムとイヴを思わせる裸の男女ふたりが、楽園のような大自然を見渡している。

そしてまた次のページ、爆発的に増えた、たくさんの人々。

大人、子ども、男の人、女の人…
同じ服を着ている人たちも、やっぱりどこかが違う。
同じ人はいない。

もし同じような顔で、同じ服を着ている人がいたとしても、その人自身は、全く違う人なはず。



そこにギリシャの詩人、メナンダーのことばがある。

“汝 自身を知れ“
とはよく言うけど、
こりゃうまくないね、
“他の者達を知れ!”
この方が、
効き目はあるさ。


他人を知ること、認めること。
果たして大人の私はできているのか。



見た目の違いから、文化、それぞれにみんな違っているということを伝えている。

なかには初めて知るショッキングな文化もあり、世界の広さを思い知る。

お金持ちの人、貧しい人、利口な人、そうでない人、包み隠さず、描かれている。
子ども向け絵本なのだからと、暗いところに目を背けたりしない。



全ページに大切なことが描かれている。


もうこの一冊をみんなで読めば、道徳の授業はいらないのではないだろうか。



もっといえば37ページにある、

ある人たちは 自分と ちがっている というだけで
よその人たちを きらう。そんなことって おかしいよ。
その人たちは 自分たちだって ほかの人から 見れば
ちがっているって ことを わすれているんだ。


この視点を忘れなければ、世界は平和になるのではなかろうか。




個人的には、19ページの

たいていの人は みんなで なにかするのが すきだけれど
一人で いるのが すきな人も いる。

という一文。学生の頃の私に伝えてあげたい。
一人でいるのが好きでもいいんやで、と。
こんな風に本に書かれているのを読むだけで、存在を認められたような気持ちになる不思議。
現代では、一人が好き、という人の多いのでは?とも思うが。


いろいろな、少数派と言われる人や、自分は人とは違う、と抱えているものがある人がいる。
この絵本の視点を持てば、理解まではいかなくても、そういう人もいると認識することはできる。
そうすれば、もっと生きやすい世の中になるに違いない。




海 



加古里子 文/絵
福音館書店 1500円+税




夏が近づいてきたし、息子は魚ブームが来ているしで、この本を開く。
4歳児にはまだ早いだろうなと息子の食いつきは期待せず、ただ母の自己満足の為に。
しかし、さすがのロングセラー、息子は見事な食いつきを見せた!



冒頭、“ゆうしおがい“の殻を拾っている子供がいる。
あれはそのまんま、子どもの頃の私だ。


私は結婚するまでずっと、海のそばで暮らしていた。
子どもの頃、よく海岸に行って遊んだ。


小さな白い、薄いピンクの混じった色の貝殻が好きで、見つけては持って帰った。
あれは“ゆうしおがい“という名前の貝だったのか。
“さるぼう“も形が可愛くって、多分集めていたな。



大人になって、あの貝殻たちの名前をはじめて知った。
もう少し落ち着いたら、息子と実家の近くの海へ行き、貝殻を一緒に見つけたい。



息子と図鑑で見た魚たちもたくさん載っていた。
深海魚が好きな息子は、リュウグウノツカイを発見して満足気。


図鑑と違うのは、どの魚が海のどれくらいの深さにいるかが数字ではなく絵でわかるというところ。


海の中の地図のようだ。


そして漠然と、深海魚がいるところが海の一番深いところ、と思っていたが違う。
その先の海溝の深さに、ヒュッとなった。
さらりと描かれているが、まっ暗闇の、生き物のいない底の知れない海を思うと怖くなってしまったのだ。


息子に、母がちょっと怖くなっている気持ちを感づかれていないか横目で確かめる。
、、大丈夫なようだった。


しかし横で静かに見ている息子は、怖くなかったのだろうか?




そういえば、昔のドラえもんの映画で海底に行く話があった。
ドラえもんのび太の海底鬼岩城。


大好きで何回も見たのだけれど、もううろ覚えだ。
マリアナ海溝をスーイと降りて行っていたような...。
確か海底ではバギーちゃんという車で移動していた。
バギーちゃんは静ちゃんに懐いていたな。
懐かしい事を思い出してゾッとした気持ちから一転、ホッコリした。


話が脱線してしまった。



海には魚だけがいるわけではない。


魚を釣っている人がいる。
海底には網が仕掛けられている。
船が海を渡っている。


人と海との関わりもたくさん描かれていた。
巻末の、膨大な解説を読むのもおもしろかった。



途中、“うみのなかのいえ“というのがあった。
その近くにある“うみのそこのこうじょう“で働いている人の家だろうか。
(ヒントは“ドラえもんの世界“)


なんだろう?がたくさん、うまれる。
想像が膨らむ。
未来につながっている。
さすが、科学絵本。



とても細かく、海の事を描いている。
加古里子さんの、”子どもに伝えたい“という熱量に圧倒される。


絵本を作る人と言うのは、子どもと真剣に向き合っているのだ。
その事を改めて思い知る。
感謝の気持ちでいっぱいになる。


以前、NHK日曜美術館加古里子さんの追悼番組をやっていた。
加古里子さんの未完の大作を前に、著名な方々がたくさん熱く語られていた。
こちらも胸が熱くなった。
加古里子さんの思いを受け取って育った人たちが、そこにいた。
番組のタイトルは「未来を生きる子どもたち大人たちへ」。


加古里子さんのメッセージは、子どもでだけでなく、大人になった私たちにも向けられていたのだ。
嬉しくなる。そして背筋が伸びる気持ちがした。